俳句に思う2005年07月23日 11:17

 土曜日の朝8時からTVのチャネル権は私にない。なぜならNHK第2で俳句の時間が始まるからである。興味がなくても目に飛び込んでくる。
 視聴者が投稿した句を選者が選んで解説を加えている。投稿者は句だけを書いて郵送する筈だから、選者はその句をさも自分が見たり体験した如くに解説するのである。当然そこには選者の主観が入る、したがって選者が違えば評価も違ってくる。
 でも、すごいことである。5-7-5文字の世界から途方もない大きな世界が想像(創造)されている。言語の冗長性がなせる業であろうか?「1を聞いて10を知る」という諺がある。まさにその通りであり、俳句とはその冗長性を逆手に取ったお遊びといえようか。
 ある種の機械とか建造物には「遊びがないとうまく働かない」と聞いたことがある。すなわち冗長度がないといけないということであろう。駅での接続時間が少ないので、すなわち冗長度が少ないので、無理をして電車をすっ飛ばす、大きな事故を起こした。合理化のために冗長度が犠牲になった悪い例だと思う。
 それにも懲りず「郵政民営化」というのがあるようだ。合理化もよいが鉄道の二の舞はごめんだ!
 もっとも冗長度・冗長度と叫びすぎると、今度はガタが来る。「ほどほど」にということか!