パムッカレとカッパドキアを訪ねて ― 2011年09月26日 16:09
トルコ旅行の写真第2弾をして、パムッカレとカッパドキアを巡った時の写真をFacebookにアップロードしました。よかったら次のURLをクリックしてください。
パムッカレ(石灰棚とヒエラポリス遺跡)
カッパドキア
パムッカレ(石灰棚とヒエラポリス遺跡)
カッパドキア
Facebookにアップロード ― 2011年09月09日 17:25
このブログにトルコ旅行の写真を少しづつ掲載しているが、数十枚を載せるのは面倒である。
一方Facebookでは、まとめてのアップが簡単に行える。Facebookにアクセスすると、はじめはサムネールが標示されるが、クリックで拡大もできるし、もちろん、画像1枚ごとに説明もOKである。
そこで当ブログへのアップを中止してこのfacebookにエフェソス遺跡の写真を20枚ほどアップしてみた。
今後も横着して、この手を使うかもしれない。
一方Facebookでは、まとめてのアップが簡単に行える。Facebookにアクセスすると、はじめはサムネールが標示されるが、クリックで拡大もできるし、もちろん、画像1枚ごとに説明もOKである。
そこで当ブログへのアップを中止してこのfacebookにエフェソス遺跡の写真を20枚ほどアップしてみた。
今後も横着して、この手を使うかもしれない。
エフェソス遺跡(2) ― 2011年09月08日 14:24
エフェソス遺跡の南の入り口を入ると、以前に掲載したようにユニークな3っのアーチが目を引く「ヴァリウスの浴場」がある。ここではもう少し近寄った写真を示す。
この浴場遺跡は2世紀に建造されたとかで、発掘は終わっていないが、かなり規模が大きい。
浴場跡の先にある「オデオン」と「上のアゴラ」に挟まれ、観光客の通路となっている「バジリカ」と呼ばれる石柱群がある。かなり距離続いていて圧巻である。
画像をクリックすると拡大します。再クリックで戻る。
この浴場遺跡は2世紀に建造されたとかで、発掘は終わっていないが、かなり規模が大きい。
浴場跡の先にある「オデオン」と「上のアゴラ」に挟まれ、観光客の通路となっている「バジリカ」と呼ばれる石柱群がある。かなり距離続いていて圧巻である。
アイワルクからアルテミス神殿へ ― 2011年09月08日 09:57
エフェソス遺跡(1) ― 2011年08月31日 17:30
トロイの遺跡(2) ― 2011年08月28日 11:12
トロイの遺跡(1) ― 2011年08月28日 10:23
イスタンブール(Istanbul)からマルマラ海に沿ってゲリボル(Gelibolu)の港に向かい、ここからバスごとフェリーに乗って、ダーダネルス海峡を渡り、アジア側のチャナッカル(Çanakkale)に到着。この海峡のアジア側でトロイ戦争が戦われ、トロイの王やアレキサンダー大王は、この海峡を渡り、オスマン帝国時代には防衛の重要な要でもあった。
ホメロスの叙事詩にある「トロイ」は、ギリシャ神話の架空の都市と考えられてきたが、ドイツのシュリーマンが1871年に発見し、現実の物語となった土地である。
長い間に、破壊が繰り返されて壊れた街の上に何層にもわたって遺跡がある。その層は紀元前(BC)3000年ころのI市からBC85年に再建されAD5世紀末に地震で放棄されたIX市までの9層に及んでいる。
写真はVI市の城壁、敵の侵略を防ぐため、曲がりくねり障害物がある。
ホメロスの叙事詩にある「トロイ」は、ギリシャ神話の架空の都市と考えられてきたが、ドイツのシュリーマンが1871年に発見し、現実の物語となった土地である。
長い間に、破壊が繰り返されて壊れた街の上に何層にもわたって遺跡がある。その層は紀元前(BC)3000年ころのI市からBC85年に再建されAD5世紀末に地震で放棄されたIX市までの9層に及んでいる。
写真はVI市の城壁、敵の侵略を防ぐため、曲がりくねり障害物がある。
Voyage en Turquie ― 2011年08月26日 15:59
少し時間が経ってしまったが、今月初めから中ごろまでトルコ西半分の世界遺産6か所を含めて、遺跡巡りをしてきた。
ここでは数回にわたって、その時の写真を掲載することとしよう
旅程は、イスタンブール到着 → トロイの遺跡 → エフェソス遺跡(含むアルテミス神殿跡) → パムッカレ(ヒエラポリス遺跡、石灰棚) → コンヤ(インジェ・ミナーレ神学校、メヴァーナ博物館) → キャラバンサライ(隊商宿) → カッパドキア(カイマルク地下都市、キョレメ野外博物館、キョレメの谷・その他) → ポワズカレ(ハトゥシャシュ遺跡、ヤズルカヤ遺跡) → サフランボル → イスタンブール(ブルーモスク、アヤソフヤ、トプカプ宮殿、グランバザール、エジプシャンバザール、ボスボラス海峡クルーズ、イスティクラル通り、その他)であった。
黄色太字が世界遺産の場所。
ここでは数回にわたって、その時の写真を掲載することとしよう
旅程は、イスタンブール到着 → トロイの遺跡 → エフェソス遺跡(含むアルテミス神殿跡) → パムッカレ(ヒエラポリス遺跡、石灰棚) → コンヤ(インジェ・ミナーレ神学校、メヴァーナ博物館) → キャラバンサライ(隊商宿) → カッパドキア(カイマルク地下都市、キョレメ野外博物館、キョレメの谷・その他) → ポワズカレ(ハトゥシャシュ遺跡、ヤズルカヤ遺跡) → サフランボル → イスタンブール(ブルーモスク、アヤソフヤ、トプカプ宮殿、グランバザール、エジプシャンバザール、ボスボラス海峡クルーズ、イスティクラル通り、その他)であった。
黄色太字が世界遺産の場所。
箱根行き(5) ― 2005年11月06日 13:34
芦ノ湖になぜ「海賊船」なのだ! 船体をごてごて飾り立てて全くセンスがない。もう1社が運行していたが、そちらの方が、シンプルで周囲の眺めに溶け込んでいる。そちらの方が好きだ!
とか何とか言ってるくせに、こちらもセンスのない湖と富士山の写真だ!
箱根行き(4) ― 2005年11月05日 18:14
朝から雲一つない晴天に恵まれ、背中に暖かい陽光を感じながら「ススキが原」に入って撮影を試みた。
逆光で輝いたススキの背景には真っ青に抜けるような空を入れたかったが、背景に山の黒い陰が入る。さりとて山影の入らない位置では太陽がかぶってしまう。やむなく撮ったのが上のような平凡な写真である。
折角の青空を取りたいと、これも平凡な純光で撮影したのが左側の写真である。ぽっかり浮かんだ白い雲が秋の象徴である。
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